書き残そう、わたしの人生の物語。
ごきげんよう。ミラ・ジョヴォヴィッチである。
私はツイッターが好きである。愛していると言っても過言ではない。
しかしなんでツイッターって140字しか呟けないんだ。これじゃ私の言いたいことは伝わらないのではないか。
というか、わざわざ人のタイムラインにお邪魔してまで伝えたいことなんてあるのだろうか。
いや無い。
待てよ、本当に私はツイッターが好きなのだろうか。
だとして、それはなぜ?どのように?
どうも最近何をしていても知り合いに見られているのではと怯えてしまう。
野良猫と遊んでいても電車に飛び乗っても大好きなツイッターでネットスラングを並べて軽口を叩いていても、友人なり親なりに見られているような気がする。
俗にいう統合失調症のウルトラ初期段階である可能性が微レ存。
そもそも私はなんのためにSNSを始めたのだったか。なぜツイッター大好き人間になったのだったか。
抽象的な答えは自分の中に見つかりつつもそれで良いのかわからない。
それを確認してもらえる気の置けない相手もいない。
さて、困った。
そうだ。ブログを始めよう。
何を隠そう私の楽しいSNSライフは中学生時代に開設されたひとつのブログから始まったのである。
当時は持ち前の自尊心の高さゆえに、友人もおらず、両親からも蔑まれていた中学生の私にはブログは唯一の(一方的な)話し相手だったのである。
まぁとりあえず、とidを登録して文書を考えてみればスラスラと出てくること出てくること。今までのツイッターコミュ症はなんだったのか。こうも言語というのは自由であって良いものか。
以上より、感想文が苦手な小学生諸君はブログを開くことを当アカウントはおおいに推奨する。思考を言語化するというのはなかなかにエクスタシーを感じざるを得ない。
ということで、開設されたのがこちらのブログである。ぜひレンジでチンせずとも美味しく召し上がっていただきたい。
あわよくば将来の私に愛され、有効な資料として賞賛されるようなブログになることを願うばかりであるが、さりとて当分の使用目的は日々の記憶の記録ツールであることを記さねばならない。
用法用量を守って正しく当ブログを利用していただければこの上ない喜びである。
ふと「整理すべきは記憶よりも自室では?」と混沌とした室内にて思い立ったが、脱ぎ捨てて丸まった靴下やピサの斜塔以上に斜度のある積み重なった本は見なかったことにして今日は眠るとする。
では。