光をください。
風呂場の照明が死にました。
助けてください。キャサりんです。
昨夜スイッチを入れた瞬間バチッと。
完全にショートしています。
実は風呂場の換気扇も調子が悪く。
以前様子を見るために換気扇カバーを外したら
ヴゥゥウン……という唸り声とともに
二度と動かなくなりました。
いい思い出です。いまだ動きません。
しかも我が家は泣く子も黙る、お掃除かんたん
三点ユニットバス。
トイレに行っても暗闇。
シャワーを浴びても暗闇。
顔を洗っても暗闇。
シュールすぎます。
日常生活が一気にギャグ漫画テイストです。
闇の中で便座に座ってるだけで、
人はオチコマみたいになれます。
逆に考えると、光のありがたみを知るいい機会となりました。
火をおこして、はじめて暗闇から光を見つけた原始人のみなさん。
ありがとう。
では。
天のひかりはすべて虹色。
宇宙に選ばれた究極の救世主 、
宇宙戦隊キュウレンジャー!!
宇宙は私が取り戻す。
ごきげんよう。キャサりんです。
終わってしまいました。
日曜の朝、たくさんの勇気をもらえる時間でした。
最後まで希望を諦めなかった、ラッキー。
歌と兄貴分で支えた、スティンガー。
漢の信念を貫いた、ガル。
誰よりもチャラくて優しい、バランス。
過去を越えて強くなった、チャンプ。
思い出の数だけ感情を知った、ナーガ。
いつもまっすぐな目をした、ハミィ。
可愛く暖かく迎えてくれる、ラプター。
史上最高音を極めた、スパーダ。
頼りないけどみんなが信頼できる、司令。
大きな背中になった、小太郎。
宇宙のすべてを愛した、ツルギ。
…………
いや、スパーダ!!!
名乗り口上の声高ッッ!!!
いつも陽気なスパーダ!
ラプターちゃんが危ないことをすると叱ってくれるスパーダ!
腹ペコのひとを放っておけないスパーダ!
Twitterの期待に応えきったスパーダ!!!
回を追うごとに声が高くなっていくとインターネットで話題のスパーダ。
あー。言われてみればたしかに……?
というのは、先週までの話です。
ストーリー上、スパーダは決してメインキャラじゃない。
にも関わらず、
この声量。この音域。
演じてくれた榊原徹士さんには、上がる頭がありません。
そして流星になった男、ラッキーさん。
とても眩しい姿でした。
男は黙って流星群。
これで小さいお友だちもよく理解したでしょう。
二年後にみんなが夢を叶えたり、
夢に向かって進んでいるのも
とても嬉しかったです。
一年間ありがとう。
ギャバンとのVシネも楽しみですね。
では。
草の枕は眠りにくい。
智に働けば角が立つ.情に棹されば流される.
意地を通せば窮屈だ.
とかく人の世は住みにくい.
社会のルールに沿いきれないみなさま。
ごきげんよう。キャサりんです。
このブログを開設したのが、2015年の10月。
それから、かれこれ2年。
え、2年・・・・・・?
2年間更新がなにもないのはあんまりなのでは・・・・・
ということで。
ぽつりぽつりとしたためた駄文を
書き散らかしてまいります。
よろしければ、良きお付き合いを。
では。
書き残そう、わたしの人生の物語。
ごきげんよう。ミラ・ジョヴォヴィッチである。
私はツイッターが好きである。愛していると言っても過言ではない。
しかしなんでツイッターって140字しか呟けないんだ。これじゃ私の言いたいことは伝わらないのではないか。
というか、わざわざ人のタイムラインにお邪魔してまで伝えたいことなんてあるのだろうか。
いや無い。
待てよ、本当に私はツイッターが好きなのだろうか。
だとして、それはなぜ?どのように?
どうも最近何をしていても知り合いに見られているのではと怯えてしまう。
野良猫と遊んでいても電車に飛び乗っても大好きなツイッターでネットスラングを並べて軽口を叩いていても、友人なり親なりに見られているような気がする。
俗にいう統合失調症のウルトラ初期段階である可能性が微レ存。
そもそも私はなんのためにSNSを始めたのだったか。なぜツイッター大好き人間になったのだったか。
抽象的な答えは自分の中に見つかりつつもそれで良いのかわからない。
それを確認してもらえる気の置けない相手もいない。
さて、困った。
そうだ。ブログを始めよう。
何を隠そう私の楽しいSNSライフは中学生時代に開設されたひとつのブログから始まったのである。
当時は持ち前の自尊心の高さゆえに、友人もおらず、両親からも蔑まれていた中学生の私にはブログは唯一の(一方的な)話し相手だったのである。
まぁとりあえず、とidを登録して文書を考えてみればスラスラと出てくること出てくること。今までのツイッターコミュ症はなんだったのか。こうも言語というのは自由であって良いものか。
以上より、感想文が苦手な小学生諸君はブログを開くことを当アカウントはおおいに推奨する。思考を言語化するというのはなかなかにエクスタシーを感じざるを得ない。
ということで、開設されたのがこちらのブログである。ぜひレンジでチンせずとも美味しく召し上がっていただきたい。
あわよくば将来の私に愛され、有効な資料として賞賛されるようなブログになることを願うばかりであるが、さりとて当分の使用目的は日々の記憶の記録ツールであることを記さねばならない。
用法用量を守って正しく当ブログを利用していただければこの上ない喜びである。
ふと「整理すべきは記憶よりも自室では?」と混沌とした室内にて思い立ったが、脱ぎ捨てて丸まった靴下やピサの斜塔以上に斜度のある積み重なった本は見なかったことにして今日は眠るとする。
では。